榎本武揚は、北海道開発で対列強、対ロシアを考えていた。石炭発掘と運搬など。
そのためか、小樽と江別の対雁に土地を買った。
しかし、
大臣歴任
東京に大学設立
メキシコ殖民
と多忙のため、江別の対雁の牧場経営は優先順位が高くなかった。
経営がうまく行かなかった可能性がある。死後に後継者で長男の武憲が1918(大正7)年に農地を解放し小作人に分解した。榎本牧場解散だと思われる。
元々士族授産のために経営していたふしがあるので、未調査だが小作人は士族ー旧幕臣かその子孫か。
近い時期の1927(昭和2年)に町村敬貴が江別で町村牧場を設立。
榎本牧場が解散し、町村牧場が今に続いているのは、技術や熱意の差だろうか?