・安土桃山時代の時代の名前の付け方について。
普通、時代区分は、
飛鳥、奈良、平安…と政庁の本拠地でかつ当時の地名をつけます。
土器時代と明治以降の元号は例外。
平成時代も歴史時代区分。
このグループでもたびたび話題に挙げていますが、桃山時代という時代区分はこのルールに沿いません。
秀吉の時代、この辺りは伏見山と呼ばれていたとか。
最近の新しい歴史用語です。
以前は木幡山(こはたやま)と呼ばれていました。
伏見城は3つあります。
木幡という地名は宇治に現在もあります。
木幡山伏見城は真田信之など東国武将が建築に当たりましたが、どうも地理に疎く、地名間違った説があります。
本来伏見山と呼ぶべきか?という立命館大学の学者が提唱しています。
伏見山(木幡山)
と当時呼ばれていましたが、二条城ができたあたりから、京都の拠点が移ってしまい、伏見城は廃城になりました。
それから桃山と呼ばれていました。
つまり江戸時代になってから、桃山とい地名がついたのです。
歴史時代区分は
政庁の当時の地名をつけるルール
桃山は後の時代の地名なので、おかしいわけです。
後の時代の地名が許されるなら
江戸時代は東京時代と呼ぶことになり、違和感バリバリだということがわかります。
桃山時代は、学者研究と論文を読んだところ、
・美術家・岡倉天心が
美術史の観点から桃山文化となづけ、
これを史学の時代区分に使ってしまった。
・明治天皇が崩御し、桓武天皇が眠る伏見桃山を御陵にしたため、桃山が変に注目されてしまった。
ということのようです。
https://www.r-gscefs.jp/pdf/ce07/sd01.pdf
本来の時代区分だと
安土伏見時代とすべきという声も以前からあります。
安土城も1576〜1582しか信長も使っておらず、しばしば移動してるので、難しいところ。
安土桃山時代は
岐阜伏見時代にすべしという話もありました(笑)
これでも岐阜城が1568〜1576年と短い時代ですが。
戦国時代は
いつからいつまでか確定しない
室町時代
安土桃山時代
とかぶる。
美術史でも
東山文化
南蛮文化
桃山文化
とかぶる。
とてもややこしい(笑)