僕は歴史が好きなんですが、常々考えるのは、
「なぜ自分は、歴史が好きなんだろう?」
ということ。
元々は父の歴史本を読むところから始まって、戦国武将・人物の生き方考え方に学んだり、具足や武器、城などの美しさに感動したり。
20年くらい前に父の座右の銘が、
「温故知新」
であると知り、この時点での歴史への答えとしました。
それは確かに間違いないんですが、まだ不足しているという思いがずっとありました。
最近読んだ、明智憲三郎氏の本には
こうあります。
「歴史に学ぶとは、自分とは異なる経験・思考・能力を有する先人の存在を認め、その人物に肉薄するかという精神活動。」
これは温故知新を深く掘っており、答えに近いと感じて携帯メモに保存し、時たま読み返しています。
最近、歴史書物に名が残る人の子孫に出会い、その一族について調べました。
何百年もの歴史を経て、今に至っている。
これは価値があることで、調べていてワクワクするわけです。
省みるに、自分はどうなんだろうと。
その人の血統には価値がある。
では自分とご先祖様には価値がないのだろうか。
そんな訳はない。
明治以降の足跡しかわからないものの、戦国〜江戸を当然生き抜いてきた訳で。
もっと遡ればいつの頃からか解りませんが、とにかく歴史を今に繋いでくれているわけです。
そう思った時に、顔と名前がわかるご先祖様はもちろん、全くわからない先人に感謝の念が湧きました。
今生きているこの命は、ずっと過去から伝えられて来た。
有り難い限りです。
そして、今生きている人は皆そういう歴史があるわけで、敬意を感じました。
歴史は今残る肖像画や建物だけではない。
生きていること、それは歴史の証明かもしれません。
歴史とは、命への感謝。
これは自分の信念とか哲学、探していた人生の答えの一つと言えるでしょう。