・組織のナンバー2である
・ナンバー2だが、トップに匹敵するほど知名度が高い。
・トップに大いに信頼されている
・文武両道
・元々の身分は低い
・家を残さない
・所属組織が衰退する(切ない…)
・愛憎が激しい(好きな人にはとことん尽くすが、嫌いな人は排除粛正する。)
庭師の師が、亡くなってから1年近くなりました。
長岡京市で仕事の帰りにコンビニを見て思い出す。
そういえばここでアイス奢ってもらったっけ。
今年の夏は、特に暑かったのをよく覚えてます。
庭仕事の帰りにクーラーの効かない軽トラで、師匠が暑さに耐えきれず、
「アイスでも食うか…」と。
こちらもコンビニ寄れたら食べようと思ってたので願ったり叶ったり。
ベストタイミングだったのでとっても嬉しかった。
この長椅子で一緒に食べたなあ。
Nさん、俺は庭師じゃないのであなたの仕事は継げないけど、今日も便利屋頑張っているよ。
長岡京市にて、一軒家でトイレ掃除カ所の作業でした。
お宅にお邪魔してみると、片付いてるようで、地味にほこりがある。
造花、香水、陶器など…。
大きな家で年配の男性で、年末でお一人。
ピンときました。
奥様を亡くされたのだろうと。
聞いてみると、男性は息子夫婦と孫はいるものの、やはり奥さんを亡くされたとのこと。
息子の奥さんは働いてるようで、やはり細かい掃除まではできないようです。
年配の男性からすると、女性は家にいるものかもしれませんが、今は共働きでない家庭を探す方が少ないでしょう。
ほこりなどを払ってトイレ掃除いたしました。
このブログでも常々書いていますが、トイレには神様がいらっしゃるので、掃除すると運気が上がります。
この男性とご家族に良いことがありますように。
クリスマスの話をば。
サンタクロースが2人いて、2つプレゼントを貰えたら良くないですか?
しかも毎年。
そんな人を3人知っています。
世の中そんな変わった人がいるもんです。
それは
妹、弟、そして私です。
父の弟の叔父さんが、もう1人のサンタでした。
(1人目はもちろん両親)
父と叔父さんは小樽出身ですが、たまたまか?兄弟揃って故郷・江別に就職しました。
そのため我々兄弟にとって最も身近な親戚です。
叔父夫婦には、子供がいないので、ずいぶん可愛がってもらったものです(今でもですが)。
そんなわけで、毎年クリスマスプレゼントは必ずもらっていました。
今にして考えたらすごいありがたい話ですね。
あまつさえ、サンタの正体を知らずに父母からもう1人もらおうとしていた(笑)
でした。
内容は無いようなもので、論文のコピペでしたね。
今にして思えばもっと勉強しておけば良かったなと思っています。
しかし、これ以外はどういう人物か謎でした。
近年は謀反人というイメージが薄れて、坂本や亀岡、福知山では善政を敷いていたとか、戦国時代では珍しく一夫一婦だだったとか、文化人でもあったなど研究されてきています。
また子孫である明智憲三郎氏の
本能寺の変427年目の真実
によって解明、新解釈が試みられてます。
私はこの間買ったのでまだ読んでいません。
さらに明智光秀の従兄弟である土岐定政の書状が見つかり、光秀の血縁がはっきりし始めています。
大河ドラマなど注目されると、新発見、新しい情報が次々と出てきますね。
真田丸の時も、真田信繁は秀吉の人質というよりも家臣で実は昌幸、信幸と別家で大名だったと判明しました。
これからどのようなことが解明されていくのか楽しみです。
文章を書くことに憧れがあった。
いつからか忘れたが、
こんな庵で文章に戯れながら死ねたら幸せだと思っていた。
兼好法師の生き方にも憧れがあった。
遁世して、出世や権利から離れながらも社会とは関わり続けるし歌会にも出席する。出家して隠者ではあるが、世捨て人とは少し違う、そんな生き方は素敵だなと。
職業作家とも少し違う。
カンヅメになりたいわけではない。
締め切りに追われたいわけでもない。
Facebookやこのブログに投稿することはあった。
しかし結局今まで、
文章を発信することの恐怖が憧れより優っていた。
自分は、自分の発信するものは世に受け入れられるのだろうか?
ずっと問い続けていたが、答えはなかった。
最近毎日文章を書いているが、これは
心境に変化があったから。
どう変わったかというと、
誰かに受け入れられるかどうかは問題ではない。
自分の文章、発信するものが自分で受け入れられるかどうか、つまり自分が満足するかどうか、充実感が得られるかどうか、自分らしくいられるかどうかが一番大切だ。
と気がついた。
自分で自分を受け入れることができれば、地球全てが敵に回ることはないだろう。
誰かは必ず共感共鳴してくれると確信できた。
アクセス数は一つの記事あたりまだ100にも満たないが、共感共鳴してくれる方は思ったよりもいることがわかった。
日常の生活は特に変わっていない。
文章を書くことが増えたこと以外は。
近年まれに見る充実感がある。
世に人に受け入れられないという、恐怖を乗り越え文章を書いている。
文章というか歴史情報発信で飯が食えたら…というイメージもしてみる。
本当の自分はなんなのか?
司馬遼太郎「おれは権現」という短編集に「言い触らし団右衛門」という作品がある。
この中に
男というものは己の価値を世に問う生き物である
という一文がある。
文章を使って情報発信、自己表現をして、自分の価値を世に問うことをしてみよう。
鎌倉時代とは何か。
鎌倉時代は源頼朝から始まり北条氏が受け継いだ、鎌倉幕府を政体とする東国中心の時代ではなかろうか。
平安時代は京都を中心とする皇室や貴族の時代であった。摂関家や院政を経て、保元の乱の頃からか武士が力を持ち始め、平清盛のように権力を握るようになった。
力の時代という言い方もできるかもしれない。
平家は驕り、それに反感を持つ武士達が源氏を中心に集まり、やがて平家を超えていった。
質実剛健とも言える。
東大寺南大門金剛力士像が鎌倉時代や鎌倉文化をよく表しているのではないだろうか。
この力強さは、平安時代には絶対生まれてこない。
関東〜東国と京都は人種が違うのではないかと思うことがある。
皇室、貴族から離れて武士、僧侶、庶民が成長し、時代や文化の担い手になった。
雅から力へ。
これは鎌倉時代、文化の特徴と言える。